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「義足チャレンジ」から見えてきたこと
清田乙武さんは現在「義足チャレンジ」をしていますが、実際に歩いてみて、感じることはありますか?
乙武僕には生まれつき足がないので、二足歩行していた時期がない。これは個々の性格による違いがあるかもしれませんが、義足歩行に対する憧れはないんです。3歳から乗っている電動車椅子が足代わりですからね。ただ、事故や病気により人生の途中から足を失った人は、いくら「車椅子も便利だよ」と言っても、やっぱり自分の足で歩きたいと考える人もいる。そういう人のためのプロジェクトなんですね。
清田なるほど、そういう視点もあるんですね。
乙武彼らがなぜ二足歩行にこだわるのかと言えば、やっぱり人々の好奇の目なんですね。車椅子や、足を引きずって歩く人は、どうしても視線が注がれてしまう。僕みたいに、そうした視線をなんとも思わない人は稀です。好奇の目が気になるからこそ、二足歩行で自然な形で歩きたいと考えるわけですね。これは「利便性」とは別で、あくまでも「好奇の視線を浴びたくない」ということです。
清田乙武さんは、人の目が気になることはありましたか?
乙武幼少期から、ずっと目立ちたがりだったんですよね。ジロジロ見られると「よし、今日も目立ったぞ!」と。
清田人と違うことが魅力的である、ということを小さい頃から気付いていたんでしょうね。
乙武だから、僕はファッション雑誌を買うことはありません。ファッション雑誌って流行の服を紹介しているわけですよね。流行のものを着るというのは、みんなと同じものを着るということになってしまうので。
清田この幅の中にいれば安心、ということであり、その「流行」の周りを衛星のように周っているのが心地良いのでしょうね。そこがちょっと人と異なっていると好奇の目に晒されてしまう。足を失った、手を失った人が好奇の目を浴びないのはいつになるんでしょうかね。つくづく人間って何なんだろうな、と。
ロボットの普及で人の発想が変わる
清田ふと話は変わりますが、人と接していて、一番嬉しい瞬間って何ですか?
乙武うーん、難しいけど、目の前にいる人の役に立てている実感を得られた時ですかね。悩んでいる人の愚痴を1時間、2時間聞いて、その人がスッキリしている瞬間って嬉しいもんですよ。
清田はい、わかります。幸せのありかたは人それぞれで、誰かに勝つことが幸せだったり、誰かを喜ばせることが幸せな人もいる。多様性の実現方法がもっとあったらいいなと思います。現在のようなストレス社会では、過労や心労から自殺に繋がることもあります。例えば、工事現場の現場監督は、朝から夜まで隅々チェックし続けるという激務をしています。そんな中、ボストン・ダイナミクスの作った四足歩行のロボットは、四六時中チェックができ、どこへでも行くことができます。これにより、人間の負荷を軽減させられると思っています。
また、清掃業界は深夜や早朝に働かなくてはいけないので、かなりの重労働なんです。でも、当社のWhizというAI清掃ロボットがあることで、人とロボットの役割を分業できるんです。人間が「あれもやってない」「これもやっていないだろ」みたいに追い込まれるのを軽減したいんですよね。いろんな社会課題に今ある技術で対応していこう!というのが我々がやっていることです。
こういう取り組みで、テクノロジーが人を変えることに繋がればいいですね。ロボットがいることが当たり前になったら、発想が変わっていくと思います。
スマートフォンも普及することで、使い方が変わってきたじゃないですか。ロボットが普及し、今持っていない視点に気付けるなら、ロボット開発を必死にやる意味があると思っています。今はSFのイメージが期待値に近いので、世間からは「もっと会話ができると思っていた」と言われてしまいます。でも、ロボットは進化の過程にあるため「まだ、そこまではできない」と伝えていくことも我々の使命の一つかな、とも思います。この先にいろいろな視点があるかも、という種を撒いている状態です。でも、これが一番難しいんですけどね……。
多様性の時代にテクノロジーを
清田乙武さんも何か伝えたいものがあるから、積極的にメディアに出るということですか?
乙武はい、それは一重に、日本に多様性をもたらしたいから。金子みすずさんの詩にもある「みんなちがって、みんないい」をなんとか実現したいんです。10年前、小学校で教員を務めていた時には「ジグソーパズルのようなクラスにしたい」と言い続けてきました。一人一人が完璧な形である必要はない。ひとつひとつのピースはいびつな形をしているけれど、それぞれの凹凸を組み合わせていくことで、最後は一枚の綺麗な絵や写真になる。私が担任するクラスも日本社会も、そうなっていけばいいなとの思いで発信を続けてきました。
最近では、この「ジグソーパズルのような社会」をテクノロジーの力で実現する動きが出てきました。「分身ロボット“Orihime”」の開発者でもある吉藤オリィさんは、NIN_NIN(ニンニン)という肩に乗せる小型の分身ロボットを作りました。これが、ボディシェアリングをコンセプトとしていて、これを肩に乗せて歩くのは視覚障がいの方。それを裏で動かすのが、病気や障がいで自宅から出られない方です。
今、街中で音声信号のある交差点は、すごく少ないですよね。視覚障がいの人が横断歩道を渡る時は、ほぼ経験と勇気。それはものすごく危ないですよね。線路に侵入して亡くなった人もいるし、彼らは安全面に困難を抱えています。一方、目は見えているけど、病気や障がいにより家から出られないという方は行動範囲に困難を抱えている。彼らが「ボディシェアリング」することで、自宅にいる人が、耳元で「自転車が来ましたよ」などと伝えられるので、視覚障がいの方は安全を担保できる。一方、自宅にいる方は、視覚障がいの方の力を借りて外出気分を味わえます。「ボディシェアリング」の理念は、まさに凸凹のパズルのピースを組み合わせた考え方なんですよね。
清田そう、ハイテクでなくても、NIN_NINみたいな発想で何かが結びついたら、ローテクで何かを解決できたりするのかもしれません。
乙武車椅子ユーザーが路線バスに乗ろうとしたら「あと30秒で発車するので無理」と乗車拒否に遭ったというニュースがありました。車椅子ユーザーがバスに乗ろうとしたら、バスがいつもよりも歩道に幅寄せして停車する。運転手が外に出て歩道との距離を確認。後部ドアを開けて格納庫のカギを開けてスロープを出して設置しますが、裏表上下があるので、間違えて敷き直すことが多い。ようやく乗れるのかと思いきや、車椅子を停めておくスペースというのは通常座席があるので、その部分を跳ね上げなくてはいけない。路線バスは高齢者が乗っていることが多いので、2席分を跳ね上げるために、わざわざ高齢者にお立ちいただかなくてはならない。そうして、ようやく車椅子ユーザーはバスに乗れる。その間、車椅子ユーザーは「お時間取らせてすみません」と乗客全員に平謝りをし続けるわけです。ようやく車椅子用のスペースができたら、運転手がスロープを格納庫にしまい、カギをかけ、そして運転席へと戻っていく。これに5分近くかかります。
これが、ヨーロッパだとどうなるのか。運転手が手元でボタンを押すと、電動のスロープが出てくる仕組みになっている。車椅子やベビーカーを停められるスペースはもともと確保されているので、あとは乗り込むだけ。これができれば、3者ハッピーじゃないですか。車椅子ユーザーも気を遣わないし、乗客も待たずに済み、運転手も手間がかからない。もちろん電動にするコストがかかりますが、これこそ税金のかけどころではないかと思うんですよね。
清田それは素晴らしいですね。こういうことが進みにくい背景に、車椅子スペースを作ることで椅子が減ることを厭う高齢者がいる「かもしれない」という発想かもしれませんね。「両方を平等に扱わないといけない」という考えですかね。ヨーロッパだとシンプルで、高齢者であっても立てるのであれば、立てない人に譲るのは当然、大変な車椅子ユーザーが来たら自分には椅子はいらない、となります。
乙武「平等」と言う言葉の捉え方は、大きく分けて2種類あります。小学校2~30人のクラスでTシャツを配るとします。小さい子にS、大きい子にLを配るのが平等だという考え方もあれば、全員にMを配るのが平等だという考え方もある。後者が日本です。「みんな等しくやりますよ」の考え方があるから、いろいろ不備が出てくるのかもしれませんね。
清田私が生まれ育ったのはニューヨークですが、子供の頃「自由」とよく言われましたが、いつも「責任」という言葉とセットになっていました。同時に「フェア(平等)である」というのはアメリカで唯一の共通価値観だと思っていて「フェアじゃない」と言うと全員が耳を傾けてくれる。スタバのカップの周りに紙を巻いてくれるけど、日本人の私には毎回ちゃんと巻いてくれない。「なんで私にはちゃんと巻いてくれないのだ。フェアじゃない」と伝えると、次からはちゃんと巻いてくれる。少なくともアメリカは差別と歴史的に向き合ってきてるから「フェアじゃない」という主張が正当なものであると全員が理解しているし、自身の自由と責任の中で解決を見出そうとするカルチャーがあると思います。
最後に、ロボット開発でお願いしたいこと
乙武ソフトバンクロボティクスは、これから何を目指していくのでしょう?
清田「人とロボットの共生」を掲げてはいますが、そのための具体策は正直一つずつ探りながら作っているところです。言い換えると、先行者として血を流すことを恐れず、あらゆる声に耳を傾けることから協働・共生の形を作っていきたいと考えています。あくまで会社なのでビジネスとして成立させなくてはいけない難しさはありますが……。逆に、乙武さんが期待することは何かありますか?
乙武技術的にこういうことを期待したい、というものではないのですが、今の開発や活動の延長でトラブルやアクシデントが生じることもあると思うんです。その時に「無条件に謝らないでほしい」というのをお願いしたいです。新しいことや前人未到のチャレンジをしていれば、必ず不具合は起きるもの。自動運転も、技術自体は日本の企業がテスラより進んでいたと言われています。なのに、なぜテスラが日本より先陣を切ったかと言うと、日本だと自動運転が開始して死亡事故が起きたら、「やっぱあんなものはダメだ!」と規制がかかってしまうからです。そうすると、そこまで莫大な予算をかけて研究・開発したものの元が取れなくなるというのです。
テスラも一昨年初めて死亡事故が起きた。裁判で自動運転が原因で起こったことも認められた。遺族には賠償は払う。ただ、テスラは、人間が起こした交通事故と自動運転が起こした交通事故を比較して、圧倒的に自動運転の方が少ないというデータを示し、「だから開発は進めます」と宣言しました。自動運転が必要だという社会的コンセンサスもあるから続ける、というのです。
日本は何かあったらすぐに謝罪して、そこから先に進めなくなります。それでは新しいチャレンジをできなくなってしまう。ソフトバンクロボティクスとロボット業界には、新しいチャレンジをやり続けてほしいからこそ、簡単に謝ってほしくない。落ち度があったのであれば真摯に謝らなくてはいけませんが、最近は無条件で謝る風潮があります。未来のためにも、毅然とした態度を取ってほしい。それだけが唯一のお願いです。
清田ありがとうございます。胸に刻みます。
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ロボットと人間は心を通わせられるか?友達になれるのか?
ロボットやAIに頼り過ぎるのは是か非か
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※この記事は、対談内容をもとに加筆・編集したものです。
乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)氏
1976年生まれ、東京都出身。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員など歴任。現在は『AbemaPrime』で金曜MCを務める。11月1日に、義足プロジェクトの全容を追った『四肢奮迅』(講談社)が発売。
清田敢(きよた・かん)
あさってロボット会議 編集長。
1979年、マンハッタン生まれ。レコード会社でキャリアをスタートさせた後、面白いことができる環境を求め、コンサル会社、ソフトバンクへと転職し『Pepper』プロジェクトに参画。