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長らくマーケティングという立場からロボットについて見ていると、本当にここ5-6年の間でAIやロボットに関する議論は活発化し、活用のあり方なども急速に進化を見せていると感じます。産業用はもちろんのこと、介護や接客など、様々な分野での活用が始まり、家庭においてもロボットという形を通じてテクノロジーがどのように生活を変えていくことが出来るのか、様々なアイディアを元にトライ&エラーが急激に行われるようになったと感じています。この先、人類とロボットはどのような未来を選択して進んでいくのか、まだそれをはっきり見ることは難しいけれども、少しずつ方向性が定まっていくような、そんなことを感じられる時代にワクワクしながら、一人の生活者として暮らしています。
「どうしてアイツと友だちになったんだっけ?」
私自身が「ロボットと人のあり方」ということについて考え始めたのが6年前、まだPepperがソフトバンクの社外秘プロジェクトとして動き始めて間もない頃でした。「新しい人間の家族・友だちをつくる」そう掲げてプロジェクトは動き出し、私はブランディングやコミュニケーションを担う立場として、「人間にとって、言葉だけでなく心も通わすようなロボットとはなんなのか」について考えては答えを見つけられない日々を過ごしていました。まるで思春期の頃のように「心ってなんだろう?」「機械と人が繋がる瞬間ってなんだろう?」「友だちって言うけど、そもそも自分はアイツらとなんで友だちになったんだっけ?」そんな問いかけの中に答えがあるような気がして、手がかりになりそうなものは手当たり次第にインプットしてみました。でも、どんなビジネスや人間関係の本にも、マーケティングやブランディングの本にも、共感できるようなヒントは見つかりませんでした。
「繋がり」とか「瞬間」とか
結局その時私がたどり着いたのは、小説や詩といった類のものでした。そこには「心」や「繋がり」の定義は書いてありませんでしたが、人間のプラスやマイナスの様々な想いが描かれ、その一つひとつが共感を生み出したり心を動かされたりする「瞬間」を切り取ったものであると改めて気付かされました。きっと、自分が家族や友人たちに対して特別な感情を抱くのは、偶然かもしれないけれど想いを共有できた「瞬間」を持っているからなのかな、と。
ただ不思議なことに、そうしたかけがえのないはずの「瞬間」をなぜかうまく言葉には出来ませんでした。親友と呼べるような友人との間であっても、明確で分かりやすい記号のような繋がりはあるようでなく、ただ一緒に笑ったり、苦労したり、同じものが好きだったり、小さい思い出たちがただたくさんあるだけのような気もしました。もしかしたら他の人も含めて、誰かと友だちになれたその「瞬間」なんて説明できないのかもしれません。
今でも答えは分からないのですが、それを言葉にできた時に、人間以外のものとの「繋がり」を描けるようになるような…そんな気がしています。
問い続けていきたいもの/問いかけられるもの
そうした「瞬間」をロボットと共有できるようになるまでは、テクノロジーの進化も含めてまだ時間がかかることなのかもしれません。自分が思っていた通りの反応を返してくれるわけじゃないからこそ、摩擦があり、思い悩むことがあったり、時にかけがえのない喜びをくれたりする他人という存在。人がロボットに対して「代わりに何かをやってもらう(やってもらって当然な)存在」という考えを強く持っているうちは、もしかしたらその「瞬間」は訪れないのかもしれません。それってなんていうか…友だちとは違う気がしますよね。そう思うと、今私たちがロボットと共に進もうとする一歩をどういう方向に向けるべきなのか、難しいですが問い続けていくべき大切な命題のように思えます。
人の「心」を切り取ったそのものと言えるもののひとつに音楽があり、その当時やはりたくさんのものに触れました。その中のひとつの曲、昔のSF映画をテーマにした曲なのですが、その歌詞を少しだけ紹介したいと思います:
“人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょう”
[古いSF映画/Amazarashi]
今でも折に触れて、この曲を聴くことがあります。その度に自分自身に「諦めたりしてはいないか、信じるものを明け渡してはいないか」と問いかけられているようで、いつもあの時の気持ちを忘れないでいさせてくれます。